2009年12月16日
リビアの国際関係
リビアはかつて反欧米・反イスラエルのアラブ最強硬派の国家であった。1970年代や1980年代には欧米やイスラエルで数々のテロを引き起こしている(或いは過激派のテロの支援をしてきた)。このため欧米などから「テロ国家」と非難されてきた上、また核兵器の開発も秘密裏に進めていた。
1984年にはロンドンのリビア大使館員が路上で反政府デモを行っていたリビア人に大使館内から銃を発射し、デモの警備を行っていたスコットランドヤードの女性警察官のイヴォンヌ・フレッチャーが死亡。その後イギリスはリビアとの国交を断絶した。1985年にはイタリアの客船をリビア人がシージャックしユダヤ系アメリカ人人質1名を殺害、同年にトランスワールド航空機がハイジャックに遭い人質が殺害された上、さらに同航空機が1986年に爆破テロに遭い、アメリカ合衆国はこれらの一連のテロがリビアの政府の支援のもと行われていたと断定し、リビアの最高指導者カッザーフィーを狙って空爆(リビア爆撃)している。1988年のパンナム機爆破事件では国際連合に経済制裁を課せられてしまうなど国際社会から完全に孤立化した。
しかし近年は態度が軟化し、核開発の全面放棄やパンアメリカン航空機爆破事件の容疑者引渡しや犠牲者への補償にも、国として事件への関与を認めたものではないが、一部のリビア人公務員が起こした事件で遺憾に思うとして応じた結果国連の経済制裁は解除され、欧米との関係改善も進んでいる。この様な動きの中でアメリカはリビアを「テロ支援国家」指定から外し、その後2006年5月15日にアメリカはリビアとの国交正常化を発表した。なお、在外公館は大使館という名称を使わず、人民事務所と称しているが、アラブ圏におかれるものは「関係局 (Relations Bureau)」との名称が用いられている。日本駐在の人民事務所の長としては長らく「代理書記」(臨時代理大使相当。信任状認証なし)が派遣されていたが、2004年4月に「書記」(特命全権大使相当。皇居での信任状認証あり)が派遣された。
また、近年ではアフリカ連合の活動に積極的に参加し、アフリカ合衆国構想や汎アフリカ主義を擁護するなど、リビア外交の重点が「アラブ」から「アフリカ」に移りつつあると見る向きもある。
1974年1月にはチュニジアと共同で合邦を宣言し、アラブ・イスラム共和国(チュニジア・リビア連合)の成立を宣言したが、この連合は即座に消滅した。この後チュニジアとの関係は悪化し、1980年にチュニジアで40人以上の死者を出したガフサ事件はリビアが黒幕だったといわれている。1985年にはチュニジア国境に軍隊を集結し、チュニジアを威嚇した。
1980年にはチャドと国境紛争を行い、多大な損害を受けた。
2007年11月、リビアはアラビア語併記のないパスポート所持者の入国を拒否すると各国に伝えた。そのため、現在リビアに入国するためには、あらかじめパスポートにアラビア語併記の手続きをしておく必要がある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
正式名称は大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国と言います。
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